会社での恩人 2021年12月20日(月)

日常生活

会社でお世話になったM垣さん

年末ですが、なんだかとにかく忙しい日々が続いています。元上司のM垣さんから、いつもの年末年始挨拶のメールが来ていましたので、自分があと1年以内で定年となること、M垣さんには、会社人生の中での大きな転換期に、とてもお世話になったこと、などを長々と返信メールで伝えました。

最初にM垣さんに会ったのは、自分が最初に配属された物流管理部の隣に、システム開発のプロジェクト用のスペースがあって、そこに来られていた時だったでしょうか。その後自分は東京の販売会社に出向し、2年間経理系の事務の仕事をしました。そして出向から戻る際に、新しくシステム開発部という部署ができていて、そこに異動するように言われました。その部の部長がM垣さんでした。システム開発には全くの素人でしたが、逆に言えば、先に業務自体を学び、その業務をシステム化して効率改善をしていく、といった形で取り組むことが出来ました。その後、今度はシステム関連会社へ出向となりました。それを決めたのもM部長ですね。当時は、誰が出向となるのか、というネタで、毎日毎日職場の人と五反田で飲み、帰れなくなると、また会社に戻って会議室で寝る、みたいな生活でした。古き良き時代ですね。

次の大きな転機が、出向先から戻る時です。その時は、M部長が、海外営業系の業務部門も兼務していて、その中にシステムの部署もありました。M部長のオファーもあり、入社10年を経て海外営業系部門へと異動になりました。最初は電話を取ることもできなかった英語に少しは自身を持てたり、アジアや中南米が中心ですが、20ヶ国以上の国に出張に行けたり、タイを始めとした数か国には何か月も長期滞在したり、といった経験ができたのも、M部長のおかげでした。

しかし、2000年に長女が生まれ、そんな出張ばかりの生活では、娘に顔も覚えてもらえないよ、とかみさんに言われ、そこで、元の部署へ戻れないか、というのを相談したのも、M部長でした。しかし、それは、直属の上司を通さなかったため、その上司とはちょっと微妙な関係になりましたが。いずれにしても、希望通り、2001年に元の部署へ戻ることになりました。果たしてこれが良かったのかどうか、今となっては、良かったと思うしかないです。

コロナでなかなか会ったりできないのですが、いつか、いろいろと当時の話などをしてみたいところです。

マンションの掲示板から

定年退職まで1年を切り、次のステップについては、いつも頭のどこかで考えています。そうすると、マンションの掲示板に貼ってある、こんな↓↓ポスターも気になります。

いつかお世話になろうと思います。

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